ざっく~😴😢
眠いなあ(_ _).oO
犬は炬燵で丸くなる🙆、が当たり前になっていました。今はもうあの子はいない。寂しくて哀しいです。どんなに何か(ゲーム🎮や読書📚・音楽鑑賞🎶)に没頭しようとしても、終わったときに暗い気持ちになる(>_<。)
失ってみて初めて判る哀しみ。
実体験によって。ただね、また鬱の波がきていて何にもやる気が維持できない、楽しめない。そんな時だから感情鈍麻が哀しみをあまり感じさせない(私の場合はちょっと感情が鈍くなったり凄く鈍くなる)。
感情鈍麻は良いことか悪いことか。人間にはわからない。塞翁が馬ですね。でも亡くなったことは悪いことで間違いない。なぜあの子が苦しんで死ななければいけなかったのか。
最後だけは穏やかだったけれど、もっと愉しく苦痛無しに生きてほしかった。イエス様ではないので、もう戻らない。それに家族が逝ったら、家族と行っちゃうでしょう、天の御国に。いろんな宗教があって行き先が違うので、なにが事実かは完全に死なないとわからない。どちらかというとキリスト教の考え方に近いのかな、虹の橋の考え方って。
話によると、動物たちは死後、天国の手前にある虹の橋の前の牧草地で、温度も快適な中、ワンコたちの仲間や友達と再会して、水や食料にも恵まれて、元気なときの姿に戻って一緒に駆け回っている。そして飼い主が亡くなったら一緒に天国へ行くのだと。
仏教には四十九日って考え方があるけれど、現世を49日間も彷徨ってたら嫌にならないかな。そんな意味でも、虹の橋の説に一票を投じたい。
私は人に迷惑をかけるだけの存在なら、もう私は死んでもいいと思っている。ただし、私は死ぬ度胸もないので、正(まさ)しく生きた死体として現世を彷徨っている。そんなバイオハザードのゾンビみたいなのが私です。
出来る事。祈るだけ。Twitterの仲間も、
リアルの友人達、家族の事も、教会の来会者のことも、親戚のことも、世界中の人達のことも全部祈る。
そんなに時間はかからないし。
無論、愛犬の事は大事に祈る。亡くなったから祈らなくて良いなんて事は無いだろうし。かえって、亡くなったからこそ祈ってあげたい。報われないかも知れないが、それでも祈りだけは棄てない。
亡くなった祖父母の事も叔母の事も、忘れない。牧師様のことも祈っています。
なんだか信仰ブログみたくなってきたなぁ。
みんな今日も良い一日を!🌸
私はまだ彷徨い続けます。いつか「これで良かったんだ」と思って死にたい。その為に生きる。
禍福は糾える縄の如しなら、この後良いことも起こるはず。今はまだ、回復しない心と体。兎にも角にも生きます。辛いけどな。
愛犬にもう一度、一言。
「ごめん、ありがとう、よく頑張ったね。とっても良い子だよ、また逢いたいよ、今はみんなと愉しく駆け回っていてね。本当になんにもできなくてごめんね。」
ありがとう。生き抜いてみせるよ!!!
![室内犬の飼い方・しつけ方 [ 矢崎潤 ] 室内犬の飼い方・しつけ方 [ 矢崎潤 ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/7916/79161304.jpg?_ex=128x128)
- 価格: 1430 円
- 楽天で詳細を見る
最後まで御覧頂いて有難う御座いました。