ざっく~(つд`)
信条には成らないと思うけれど、これはこれで『信じるでなくともひとつの想い』というか『ザクの特徴(象徴?)』。
それであって、その事に気付いた。「それ」とは…
「人の善〈正義〉と悪〈不義〉の矛盾に耐えられない脆さ」。
今はグレーゾーンも理解しているし、白黒思考や100か0かの思考には、あんまりならなくなってきた(気が…略)。これはひとつの進歩かもしれないけれど。
しかし、それは理性的思考の側である。
これが、こと感情による思考になると(思考と云えるかわからない。感情的ではなく感情そのもの、言わば生理的に)耐えられない。
どんな矛盾か詳しく云えば、自分の目の前に、一人他人が現れたとする。そうするとその人の良い面・悪い面の両面がある。それは不完全な存在〈人間〉だから当然。
その矛盾が強くキツくなればなるほど、それに耐えられない自分が居る。
ハッキリいって辛い…
人間関係も崩壊する(こちらの心の中で崩壊する、或いは現実で崩壊すること)の多いこと。
例えとしては、嘘吐きだったり汚い奴がいるとする。ソイツにも良い面はある。最初から美化し過ぎてしまったのかもしれない。期待してしまうのが間違いなのかも…
そして、その矛盾に耐えられない脆さがあると、断絶(絶縁)することもある。そして後悔する。最近は後悔より反省、改善が少し増えた。それはまぁ良いとして、
発達障害となにか因果関係があるのか?
解らないけれど、ロクな事ではない。
その矛盾に対する耐性がないのか。断絶するときは相当に相手も酷い奴であることは言うまでもない。傲慢でとにかく汚い嘘吐きだったりする。高慢ちきでもある。
付き合わなくて良いんだよ!!!と、バッサリ打っ手切れれば、どれだけ楽なんだろうか。しみじみ思う。
悪い奴等と付き合っていると、こちらまで腐っちまうから。なにがって精神が腐るんよ、もっと言えば脳味噌が腐るのさ。
こんなことで悩むのは変なのか?
ここの所、断絶するとしても、緩やかにフェードアウトするようにしている。
これが難しいこともまた事実だが。
とにかく他人の悪い所(嫌なところではなく悪い所)に目がいってしまう。気付いてしまう。僕は元来、罪悪に潔癖なんだ。
元々、汚れにも潔癖。それは強迫性障害でもあるから、そんないや~な病気も関係しているのかも知れない。
これは信条じゃないよなぁ。
悪い信条だ。とにかく汚い者を排除したくてたまらない。
僕自身にもそうしているような気がする。当然苦しいし辛い…
アジ・ダハーカの象徴するもの。三つの頭が象徴するものがあるけれど、僕の人生の象徴はアジ・ダハーカのそれなのか?
アジ・ダハーカ - Wikipediaja.m.wikipedia.org
毒竜に呪われとるのか。
先の象徴しているものは、リンク先によると「苦痛、苦悩、死」らしい。
でも人生って、最終的にはその3つの集まりみたいなものじゃない?
なんだかまた暗い話になってるな~。
『嘆きの文書』だよ、これじゃあ…
過去の三つを並べたけれど、「信条」って言えないや。「参」はまぁ良いとしても。
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いつもこんな僕のBlogにお付き合い頂き感謝です🙏