狙撃兵の訓練所-改

読書好きな障がい者「ザクX」が綴ります(^^♪

基督教信仰と禅

ざっく~(^^♪おはようございます!

少し明るい気持ちで、今朝を迎えられて好きな人も嫌いな人もどちらでもない人にも、今まで頂いた恩義に感謝します。ありがとうございます。

さて、今回はキリスト教と瞑想がテーマです。

僕は先日のOD(オーバードーズの時、全ての信仰を失い、そして奇跡的に基督教信仰は取り戻しました。幸運だと思います。そして聖書の勉強会ではリーダーの言葉に感激しました。「見捨てるような人を神は救わない。信じているのは救われる証である」と。

これまで、とある新宗教の二世信者であり、そこを脱会し、大人になってから漸く仏教や神道を信仰するようになりました。特に仏教の思想は面白いし、示唆に富んでいるので傾倒しました。今でも仏教思想を学ぶことは良い事と思います。現在、神道の本も読んでいます。そして僕の信仰の歴史については、昨年後半に基督教(プロテスタントと出会い、興味を持ち学んでいます。先日までのブログでも少し触れたかと思います。

そんな道を歩みながら、仏教の修行の中に「禅(瞑想)」がありました。ただ、禅宗だったのかと訊かれたら、わかりません。ですがその当時、世間でも瞑想(マインドフルネス瞑想やマインドフルネスストレス低減法)が流行しており、TVでも盛んに取り上げられていました。今もそんな風潮があるかと思います。「マインドフルネス瞑想」などはある意味、逆輸入されたものだと認識していますが、よく考えると大昔も大陸のほうから伝来したはずです。それを日本で過去の僧侶たちが、どんな風に料理して工夫して日本に馴染ませたのか。様々な労苦があったと思います。

そうした縁による、瞑想との出会いがあり、僕は「坐禅」を選んだのでした。そして今でも習慣になっています。過去にも瞑想カテゴリー内の記事で触れましたが、いろんなメリットがあります。そうして、今、生きていられるわけです。神道はそんなに傾倒したわけではありません。ですが、毎日手を合わせておりました。

そんな中、基督教とも出会い三つの信仰を持つことになりましたが、前述の「信仰喪失と基督教による救い」がありました。「救い」とは聖書を読む中でも、熱心な信徒の方から頂いた本からも、気付かされることがあり、勉強会でも心が救われる思いを体験したので、こう表現しました。もちろん「信じればその瞬間から救われる」ことも指します。

つまり今の信仰は「キリスト教のみ」なんですね。他のものも学んではいますが、それはじっくりと選び取っていきたいと思っているからです。衝動的な方ならさっさと基督教以外の祀ってある神棚や仏像も処分してしまうかもしれませんが、そんなことはしなくて良いし、できればやれば良いだけ。強いられたり命令されてするのは、良くない結果をもたらしますので、じっくりと学びつつ、どれか一つにしてゆこうと考えています。そんなわけでキリスト教信仰のみですが、まだ完全にクリスチャンになれたわけではない、と思います。なのでじっくりゆったりです。

今の信仰と禅の習慣を大切にしながら、生きてゆきたいと思える事に感謝します。

最後までお読みいただきありがとうございます。

キリスト教入門[聖書協会共同訳対応版]

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  • 発売日: 2021/03/03
  • メディア: 単行本