ざっく~(^^♪
今日も生きているので、祈りました。
すでにご承知の方も、ご存じない方もおられると思いますので、改めて、私はキリスト教プロテスタントの求道者です。つまり受洗前、バプテスマ(洗礼)を受ける前の者です。受洗するまで生きられたら良いなと思いますが、どうなることか。
ただ祈ります。お世話になっている人の事も、なった人の事も。ただ、あまり身近で親しい人の事を祈るより嫌いな人や苦手な人の事を祈ることが難しく重要なんかなと思います。勿論、祈るのは個人の自由、大声出すわけではないので(そもそも殆ど黙想です)
今はソルフェジオ周波数の滝の音楽を聴きながら書いてます。水の音はたいてい癒されます。食器洗いも水に触れて癒されるそうですが、自分の洗うかそれすらも放棄している始末。今はそんな状態です。立っているのも辛くなるので。一日椅子か横になるか、出かけるなら自転車です。
自転車はエコで良い(´へωへ`*)発明した人に「偉いです!」と言いたい。
自転車愛により脱線したところで、祈りの話に戻ります。僕は自分の言葉による祈り以外に、聖書から持ってきた祈り、そして過去の偉人たちの祈りをしています。何かというと
1、ラインホルト・二ーバーの祈り
2、アッシジのフランシスコの祈り
4、キェルケゴールの祈り
と、現在はこの四つです。
ただ、やはりその時その瞬間に湧き上がってきた心の呻き叫びを祈ることが
大切なのではないかと思っています。なにも湧かないこともあるけどね。
太平洋放送協会とか世の光で検索すれば、無料で聖書が手に入る案内が得られると思いますので、「ちょっと触れてみたいな~」って方はアクセスしてもいいかも。