雑記ぃド byザクχ

重病人でプラモや本好きな拙者の雑記ブログでござぃ(´っ・ω・)っ

2022🎍ラッキー7日目

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ざっく~(^^♪

昨日はお休みいたしました。昨夜また過食発作が起きましたが、昼間ある程度食べていたので、過酷な発作にはなりませんでした。それでも早く治したい。けれどこの病は簡単には治らないそうです(本によれば…)。

今朝は比較的早くに起床し、七草粥を食べました。お粥で胃が休まれば、と思います。

そしてカーテンを全開にすると、素晴らしい(でも町では迷惑な)一面の銀世界⛄

幼いころには雪だるまを作ったものです。それだけは楽しかったあの頃。遊びやGAMEだけが心の支えでした。両親は放任主義で、きょうだいの心配ばかりしている。きょうだいの言う事は真に受けるくせに、私の言い分は無視され頭ごなしに否定。きょうだいなんて下の子が良いとこどりするもんです。まず親のお腹の中で育ちやすいし、親も育て方を上の子の時に経験している。そのうえ更に下の子は上の子の失敗を見ていて抜け目がない。甘えるのも下の子が上手。それを当たり前だと思っているあたり、卑劣です。

そして父の躾と称した暴力です。この暴力的躾(躾ではない)の何が最大にいけないのか、それは勿論、尊敬しているはずの両親(特に男親)から暴力を受けることで、信頼関係が壊れ、子から親への無限の愛も冷め、軽蔑するようになり、人間として信じられなくなる前提を(悪い意味で)クリアしてしまうことです。

怒ったり暴力を振るったりして真面な人間が育つわけがない。それも私に、僕に憑りついている呪いです。血の呪いをこの世から無くすため、僕は誰ともお付き合いする気が無くなりました。それで女性と付き合うと子供が生まれることがありますよね。そして結果としてこの呪いを再び発現させてしまう、そしてその子が今度は周囲に迷惑をかけるからと考えるからです。

この国の下らない本には、真実が書かれていません。ここでいう真実とはなにか。それは殆どの要素が遺伝で決まり、後天的な要素は若い時の環境で大分決まってしまうこと。こんなことなら生まれなければ良かったのに。

両親ももう認知症が進んで障害者の僕では手に負えません。両親ともにやる気なし。頭を使う気がないのでしょう。面倒くさいのは解りますが、それで認知症が進行したら元も子もなくなる。

 

このように思いますが、そんなわけでもう人生諦めています。終わってる人ですから。終わっている人を「終わってる終わってる」と馬鹿にする人は、他人のことだけみて自身の事は棚に上げるんです。自分が見えていない。愚かな人の特徴です。だから私は自分の悪いところと良いところ、中庸なところをしっかり見続けたいと思います。そうしないともっと悪質な人間になる不安があるからです。この不安は僕という人の防衛反応なのかと思います。「人生諦めている」と書きましたが、それは「ロクな人生を望めないから」です。何かにつけて貧乏籤ばかり引いていてロクな施設・人間に当たっていません。親のこともいうなら先般少し流行った「親ガチャ」ですよ、まさに。

 

タイトルはラッキー7ですが、またネガティブな感じの記事になりました。ただ、ネガティブに物を見るのも、生きていくうえでは必要です。都合のいい面ばかりに目を向けるのは、本当に阿保です。

日本人は元来「ポジティブシンキング」よりは「ネガティブシンキング」の方が優勢であるようです。これも血の呪いかもな。上述しましたが、「ネガティブに考える=悪ではない」のです。それを悪い事だと思いこませようとする変な人のほうが、120%悪いです。

 

辛い事があまりにも多く思わず溜息が出ますが、大切な人々へ。祈っております。健康で、病魔(怪我・病・障害)から救われて、毎日楽しく、困っている人々の力になれますように。読者様の事も読んでいない方々の事も、そして自分自身の事も祈ります。

時が来るまでは生き続けないといけないと、失望しているザクΧでした。

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

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