ざっく~(´・ω・`)r
前回の続きです。
ケガ🤕をして、気付いたことがあります。
人は不幸があると、こんなことに気付きます。そうでない人も居るとは思いますが。色んな人が居ますからね。それはそれで良いんです。
その「気付いたこと」とは以前は恵まれていたって事です。ここまで酷くなるまでは、たとえ第一段階のケガで痛くても、ダブルパンチを受けるよりは、幸せだった、ってことです。
あまり幸せとは言えないでしょうが、今よりはマシであった、恵まれていた。
それは事実だと思います。
不幸には違いなかった。ロクに力を発揮できなかった。それでも、一日中寝ているような状態よりは遥かにマシだったんです。
灯台下暗しですよね。
そして世話をしてくれる両親には感謝しないといけません。というか感謝しています。
そんな中で家族含め支えてくれる人々がいて「恵まれてるじゃん」って思えます。
そしてこんなダメな自分でも、体や心は生きようとしていること。これも重要だと想います。
僕の心理を司る器官が、いくら
「つまんねー」
「辛い、嫌だ」
「生きているのが苦しい」
「死んでしまいたい」
と想わせてきても、他の器官や細胞達は生きようと、生きたいと想って願っているんです。それをヒシヒシと感じます。「治して動かしてくれよ、体も心も!」って。
正にケガの功名。
辛いけれども、生きていく。一線を越えなかった僕にはそんな「社会の底辺を這い蹲るような生き方」であってもそうしてゆく他ありません。
何かあれば、何でも祈って良いんだから、神様に打つけさせてもらいます。
不平不満を「何故こうなのですか」「ムカつく」「辛い」と打つけます。
神は義であるお方であると同時に愛なる方でもある。なら「救ってほしい、助けてほしい」「自分を他人の役に立ててほしい」「戦争がこの星から無くなって真の平和を」「御世話してくれた方々も、この星の人々すべて、たとえどんな人であっても幸せになれますように」と祈ります。
他人の幸福を祈ると、精神的に良いようですよ。でも自分のことを祈るだけで精一杯な時もありますよね。
そんな時はそれで凌げば良い。
耐え忍んで、なんとか生き残ってゆく。
その内に良いことあるさ。
薔薇色の未来でなくても、少しは景色の良い時も来る。そう信じます。
このBlogでは身勝手なことばかり云ってますが、それがこの私です。素の自分なのか、仮面を被っているのか解らないけれど、まず生かされていることに感謝。
そして応援して下さる方々にも言います。
有難う御座います!🤗
ここまでお読み頂きまして、有難う御座いました🙏