雑記ぃド byザクχ

障害があっても一生懸命生きるZE!

ダブルのケガ🤕2

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ざっく~(´・ω・`)r

前回の続きです。

ケガ🤕をして、気付いたことがあります。

人は不幸があると、こんなことに気付きます。そうでない人も居るとは思いますが。色んな人が居ますからね。それはそれで良いんです。

その「気付いたこと」とは以前は恵まれていたって事です。ここまで酷くなるまでは、たとえ第一段階のケガで痛くても、ダブルパンチを受けるよりは、幸せだった、ってことです。

あまり幸せとは言えないでしょうが、今よりはマシであった、恵まれていた。

それは事実だと思います。

不幸には違いなかった。ロクに力を発揮できなかった。それでも、一日中寝ているような状態よりは遥かにマシだったんです。

 

灯台下暗しですよね。

そして世話をしてくれる両親には感謝しないといけません。というか感謝しています。

そんな中で家族含め支えてくれる人々がいて「恵まれてるじゃん」って思えます。

 

そしてこんなダメな自分でも、体や心は生きようとしていること。これも重要だと想います。

僕の心理を司る器官が、いくら

「つまんねー」

「辛い、嫌だ」

「生きているのが苦しい」

「死んでしまいたい」

と想わせてきても、他の器官や細胞達は生きようと、生きたいと想って願っているんです。それをヒシヒシと感じます。「治して動かしてくれよ、体も心も!」って。

正にケガの功名。

辛いけれども、生きていく。一線を越えなかった僕にはそんな「社会の底辺を這い蹲るような生き方」であってもそうしてゆく他ありません。

何かあれば、何でも祈って良いんだから、神様に打つけさせてもらいます。

不平不満を「何故こうなのですか」「ムカつく」「辛い」と打つけます。

神は義であるお方であると同時に愛なる方でもある。なら「救ってほしい、助けてほしい」「自分を他人の役に立ててほしい」「戦争がこの星から無くなって真の平和を」「御世話してくれた方々も、この星の人々すべて、たとえどんな人であっても幸せになれますように」と祈ります。

他人の幸福を祈ると、精神的に良いようですよ。でも自分のことを祈るだけで精一杯な時もありますよね。

そんな時はそれで凌げば良い。

耐え忍んで、なんとか生き残ってゆく。

その内に良いことあるさ。

 

薔薇色の未来でなくても、少しは景色の良い時も来る。そう信じます。

このBlogでは身勝手なことばかり云ってますが、それがこの私です。素の自分なのか、仮面を被っているのか解らないけれど、まず生かされていることに感謝。

そして応援して下さる方々にも言います。

有難う御座います!🤗

 

ここまでお読み頂きまして、有難う御座いました🙏

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