正義の有害性👿 をお送りいたします。
ざっく~(´っ・ω・)っ
正義の何処が有害なのか?
考えたてみたことがありますか?
「正義は正しいんだから、いいんじゃない?」
「義なることなんでしょ?正しいんじゃ?」
そう思う人も多いと思います。
ただこの「正義」。
辞書にはなんと載っているか?
新明解 国語辞典 第五版より送ります。
『道理にかなっていて、正しいこと。正義の人\正義感に駆られる(が強い)【正義派】不正を憎み、情実を排し、正義を守ることだけを考え(て行動す)る、純粋な心の持ち主。』
とあります。
ですが、判る方はもう分かっていると思いますが、なんか危なっかしくありませんか?
声高に正義を標榜する人って、
「自分こそが正義」
と思っていそうで、怖いです。
特にナルシシストなんかが、「俺が正義だ!」って言い出したら100%悪。
ナルシシストは自分のことしか考えられない不正な人ですから。
これはハッキリいいます。「元」知人にいましたよ。
散々な目に遭いました。一応謝って済ませておきましたが(お別れ)。
その人のことは置いといて、ナルシシストは自分のことしか考えてません。いっとき、他人のことも考えて優しくしていても全部後になってみれば本人自身の利得のためです。なにも親切でも優しさでもない紛い物です。
それに現代では前述の「正義の人」の意味が変わってきています。「行き過ぎた正義の人」という意味合いでも使われます。
しかも聖書的にみても、人間の正義はたかが知れています。神様の視点ならいざ知らず、人間如きがなにを正義と曰うのか?
偏狭な正義にならざるを得ません。
正義に見せかけた偽物の正義。まさしく偽善。
偽善とは、うわべを飾って心や行いを正しく見せかけること、です。
なぜ偏狭な正義になるかというなら、人間には自己の意識を防衛するシステム(ハッキリ言っちゃえば気がおかしくならないようにするまやかし)、「正常性バイアス」があります。
バイアスとは思考(認知)に補正をかけるもの。
バイアスがかかっている=偏っている、
ってことです。
人間にはこのバイアスを打ち破る方法がありません。
正確には意見の交換によったり、何度もメタ認知をして修正することで、より正しい意見を持つことはできますが、神様の領域には達しません。
人間は相対的な存在です。
絶対者ではありません。
正義の有害性はこうしたところに端を発します。
正義だと思っていたものが間違っていたり、
正義だと思って突き進んだ結果、大きな過ちを犯したり、
正義だといって何でもしていいと誤解したり、
テロを犯したり。テロだとも思ってなくて聖戦とか気取っていたり(苦笑)
自分は本当に正しいのかな?って疑ってるくらいで正常だと思いますよ。
そうした謙虚な姿勢が人を守ってくれるんだと思います。
今回はここまで。
最後までご覧下さいまして、誠にありがとうございます。